2015-08-06 Thu
英語学習の自分史、それはそのまま自分に相応しい学習法探索の歴史と言い換えてもよいのではないでしょうか?少なくとも僕はそう考えています。英語に限ったことではありませんが、世には数多の語学学習法を謳う書籍やネット情報などが溢れかえっています。先ずは、これらの情報の取捨選択が難しい。現在の自分にとって、どれが正しくてどれが間違っているのか、一体どれが有効で、どれが効率が悪いのか、実に悩ましい。
夏目漱石が英語を学んだ時代とは大きく異なり、我々には情報や手段が多すぎる。かの時代は、学習法も教材も選べるほど存在しなかっただろうから、これだと信じた一つのものを一心不乱に取り組めば良かった。現代は違う。ある意味不幸ですね。情報を持て余している感があります。質の良い情報を選別するには一定のスキルが必要だし、だからこそ、それがビジネスチャンスにもなっているのでしょうね。
さて次に、運よく、その時の自分にまさしく相応しい学習法や教材に出会ったとしても、それが未来永劫役に立ち続けるかと言えば必ずしもそうではないということがあります。自身の成長と共にベストマッチな学習スタイルは変わり続けるからです。
つまるところ、学習方法探索の旅は終わることがないという結論に到達するわけです。英語学習の長き旅路は、常に自分と向き合いながら、自分に最適な学習方法は何かと、自問自答し続けることなんだなと思う。これは僕のような凡人には結構大変です。
終わりのない旅は、自分は死んで塵になるまで学び続けるのだ、と固く決意している人にとっては至極当然のことで、何でもない事なんだろうなあ・・・。
早くその境地に達したいものです。←凡人の嘆きでした・・・。
ではまた。
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2015-08-06 Thu
仕事も家庭も全て順風満帆で、体調も万全の時、そんな恵まれた時間がどんだけあるのか知らんが、そういう時は何でも上手く事が運ぶものです。しかし、多くの場合はそうはいかない。人生そんなに甘くないんであります。本当の意味で、その人の真価が問われるのは苦しい時だ。苦しい時というのは、不思議なもので次から次へと厄介な出来事が横並びで襲ってきて、体力的にも精神的にも疲弊していくものです。心が疲れてくると、周りが皆、敵に見えることすらあります。
ここで踏み止まれるかどうかが大事なのだ。苦しい時こそ基本に立ち返り、目の前に起こる現象の本質をひとつずつ見極め、落ち着いてフラットな判断を展開していく。守るところはきちんと守り、攻めるところは思いっきり攻める。周りからしてもらって当たり前だと思うことであっても、有難うと言ってみる。
悪い流れを断ち切るのだ。
流れを変えるんだ。
苦しかった7月が終わった。月が変わった8月は良い流れに向っているような気がする。相変わらず忙しくて、予定していた盆休みは何処かに吹き飛んでしまったけど、流れが変わった実感がある。良い流れを引き寄せることができたのは逃げなかったからだとも思う。
暑い夏こそガンガンいきましょう!仕事もTOEICも飛躍できるのが夏です。だって、大抵の人はペースを落としてくるからさ。暑さに負けずに走り続けた人が自然と一歩前に出るんだ。
苦しい時というのは、自分の成長が期待できる時でもあるわけで、現状の自分のキャパの7~8割で抑えてしまう人には著しい成長やブレイクスルーは望めないと思うんですよね。
暑い夏こそ熱くなれ!←決して松岡修造ではありません。
暑い夏は、自分を試す絶好の機会なのだ。
俺はやるぜっ!←で、結局、何が言いたかったの?
ではまた。
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