2019-08-11 Sun
あれは、僕が名古屋から東京に戻ってきた時だったから、今から丁度10年前の出来事だ。かつて名古屋で一緒に働いていたKさんと歌舞伎町で飲んだ。Kさんとは名古屋で共に働いていたわけだけど、彼は僕より先に転勤で名古屋を出て東京に住んでいた。偶然だけど、大学も学部学課まで同じ同級生だったから仲良くしていたし、僕の東京転勤を誰よりも喜んでくれた。
つまり、10年前の飲み会は僕の東京帰還のお祝い会だったんだね。新宿の焼き鳥の名店『番々』で乾杯して飲み始めたんだけど、二人とも酒好きだし、久しぶりの再会だったかたら、最初から盛り上がって、しこたま飲んだと思う。
それで2件目に行こうよということになった。折よく金曜日だったから翌日は休みだし、よし、行こう、行こうと歌舞伎町を飛び出して新大久保に向かった。言わずと知れたコリアンタウンだ。
新大久保に到着したものの、当時、25年も東京を離れていた僕に、知っている韓国料理の店なんてある筈もなく、何となく良さそうな、個人経営と思われる店に飛び込んだんだ。
その店は細い路地にあって、お父さんとお母さんが二人で切り盛りしていた。おそらくご夫妻だと思う。優しいご夫婦の温かい接客と美味しい料理にすっかり満足した我々だったが、なんと、連れのKさんが突然、酔いつぶれてしまった。
腕時計を見ると、時間は午前3時で、それがこの店の閉店時間だった。何度起こしても無駄で、途方に暮れていたけど、よく考えたら起きてもどうせ電車は動いてないよね。
それでも、お店に迷惑はかけられないから、僕は会計を済ませ、Kさんをかついで外に出た。そしたら、お父さんがついてきて、何か言ってる。日本語が殆ど話せない人だからよく分からなかったけど、手招きしてるんだよね。
中からお母さんも出て来て、どうやら中に入れって言ってる。中に入ると、さっきまで僕らが腰掛けていた椅子が3つ並べられていて、そうです、相方をそこに寝かせろと言ってる。躊躇する僕に笑いかけ、お二人が手伝ってくれた。
片言の日本語と身ぶり手振りで、たぶん、始発電車が動き始めるまで、ここにいて構わないと言ったんだと思う。これには本当に助かった。いくら僕が巨漢でも、酔いつぶれた大人を一人で運ぶのは容易じゃないからね。
そこから、僕は再び、残していた鏡月グリーンのボトルをロックで飲み始めた。奥の方では何やら調理しているのか、良い香りが漂ってきた。お父さんとお母さんが自分達のご飯を作ってたんだね。チラッと見えたけど、辛そうな鍋料理だった。
程なく食卓が並んで、二人が食べ始めると思ったその時、お母さんが鍋を持って近づいてきたんだ。僕も一緒に食べろって。忘れもしない、鱈の身と野菜が沢山入ったキムチ鍋だった。正確な料理名は知らない。これはお世辞抜きで物凄く美味しかった。
始発までの2時間を何とも言えない温もりの中で過ごし、外が少し明るくなってきた頃、僕は何度もお礼を言って頭を下げ、1万円を差し出した。受け取ってくれないからレジに置いたけど、それは僕のスーツのポケットにねじ込まれてしまった。お父さんが、金は要らないと手を振る。
再びお礼を言って、また必ず来ますと伝えたけど、数年後に再訪した時には別の店になっていて、どうしてもう少し早く来なかったのかと後悔し、しばらく自分を責めたっけなあ。今でも残念に思っている。
翻って現在は、日韓関係が最悪の状態に陥っているけれど、あれは政府レベルの、政治レベルの話であって、民間レベルでは、個人レベルでは、そんなことないんじゃないかと信じたい。テレビ放送だけ観ていると、韓国人とはなんて過激で自分勝手なんだと誤解してしまうけど、本当は優しい人達なんだと思うんだ。
だって、地方から25年振りに東京に戻ってきた僕に、一番先に優しくしてくれたのは、あの韓国人のお父さんとお母さんだったんだから。
この日韓関係の捻れは、個人レベルの話し合いを続け、ふれあうことで、きっと乗り越えられると僕は思っている。お互いの欠点を指摘するのではなく、良いところを褒め合い、称え合うことが大切なんだ。
お~い、文ちゃん、阿部ちゃん、オレの話、聴いてるかあ~?いつまでも罵り合ってないで、一緒に酒でも飲めよ。
※本稿は、拙著『サラリーマンのごちそう帖』に掲載するつもりだったのですが、紙面の都合上割愛した物語を加筆したものです。

ではまた。
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