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Rabbit

Author:Rabbit
50代(男性)
私大法学部卒
東京都内に生息
海外留学・海外赴任経験なし
趣味は英語学習と居酒屋巡り
著書は以下の通り
『サラリーマン居酒屋放浪記』
『サラリーマンのごちそう帖』
『TOEIC L&Rテスト860点奪取の方法』
『TOEIC L&R TEST 上級単語特急 黒のフレーズ』
『TOEIC L&R TEST 超上級単語特急 暗黒のフレーズ』

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大きな転換期を迎えて
TOEICの公開テストに人数制限がかかり、大きな転換期を迎えていますが、ソーシャルディスタンスを守ろうとする限り、自ずと限界があります。

現在、10月のテスト会場を増やすべく奔走いただいているようですが、それとて、せいぜい2割増しとか3割増し良いところでしょう。

どう頑張ったところで、ハコは限られているのです。

となれば、最後の手段は日程をずらすしかありません。すなわち、公開テストの土日開催です。2日間に分けて実施する。これで机上の計算では受験者の受け入れが2倍になります。副次的な効果としては、今まで日曜日が仕事で受験できなかった人も受験可能になりますね。

テスト問題は、元々、最大5フォームほどあったわけですから重複はしません。土曜日と日曜日に振り分ければいい。と、簡単にはいきません!

現状では、土曜日の受験者から日曜日の受験者に問題内容が漏れる可能性を否定できません。というのも、フォームが違うといっても、200問全問が異なる問題で構成されているわけではなく、各フォームに共通している問題が含まれているのです。

それが6割とか、4割とか、3割とか、様々な憶測がありますが、とにかく共通問題が存在することは紛れもない事実なのであります。ここをクリアーしないと土日開催は実現しません。

土曜日の200問と日曜日の200問は一切重複しない。これが大前提です。大変ですけど、できると思うんですよね。5フォーム作る余裕があるわけですから。

ここを乗り切ると、残る問題点は、テスト別のスコアのブレをどうやってなくすか、ですね。土曜日と日曜日の受験では母集団が違うわけで、受験したテストによってスコアが上下にぶれる可能性があります。でも、これもTOEICの知見とデータがあれば難なく乗り越えられるんじゃないのかな。

僕は密かに期待しています。

ではまた。

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未分類 | 23:33:45 | トラックバック(0) | コメント(1)
コメント
ジャーミーのことはご存知だろうか。たいていの人が一度は聞いたことがあると思う。こういうやつだ。

 おわんおわんおわんおわんおわんおわんおわんおわん……

 幼稚園の頃。参観日に、母が、別の子供の祖父らしき老人に声をかけられた。お遊戯の時に歌っていた僕の声を、ほめてくれたらしい。
 お宅のお子さんはとても「ジャーミー」に向いた声です、もしかしたら天才かもしれません、今から本格的にやらせた方がいいですよ。と、そんなふうに言われたのだそうだ。
 ただのお世辞だったのかもしれないが、両親はその気になった。すぐに僕は幼児向けのジャーミースクールに連れていかれた。
 おかしな光景だった。同じ年代の子供たちが、先生の合図に従って歌っていた。いや、歌っているというより、変な声でうなっている、という印象だった。
 ジャーミーとは、喉の奥から声を出して響かせる、歌唱法だ。ため息のような、犬の遠吠えのような声を、うまくコントロールして、口の中でおわんおわんと響かせる。そうこんな具合に……おわんおわんおわん……。
 もとは山岳民族に伝わっていたものに、日本の浪花節や演歌のこぶしの技術が入って進化し、完成したものらしい。
 スクールに通うようになったが、その変なうなり声は出すだけでも難しいし、長く伸ばすために息を続けるのも大変だった。それが何の役に立つのかわからなかったから、教えられた通りに変な声が出せるようになったところで楽しくもなかった。みんなが出している声を聞いていても、ちっともいいとは思えなかった。
 授業料はとても高く、親はずいぶん無理をしてくれていたようだ。専用のとんがり帽子を定期的に買わされていて、これもとても高額のものだった。
 3ヶ月に一度、大きなホールを借り切っての、おおげさな発表会があった。ステージに並んで日頃の成果を見せるのだ。客席には生徒の両親や親族が大勢見に来ているのだが、皆、つらそうだった。いかにもわかっているように腕組みをして目を閉じて聞いてる人も、実は退屈しきっているのは明白だった。自分の子供や孫の出番以外は、露骨に耳を塞いでいる人もいた。
 他の子のステージを見ていると、わめき散らしているガチョウの群れのようだった。歌っていても、聞いていても、気持ち良くもなければ楽しくもない。何のためにやっているのか、疑問だった。
 けれど周りを見渡すと、他の習い事をしている子達も、ほとんど同じようなものだった。意味も知らない文字を模写させられたり、延々とボールを追いかけさせられたりしていることだって。
 幼稚園、小学校と、なんとかがんばっていた。中学校に上がる機会に一度やめたいと口にしてみたことがあるが、「これまでの苦労が全部無駄になるぞ」と親に言われると、思い切ることができなくなった。そしてずるずると続けた。
 10級からはじまる段級位制度があった。試験に合格するたびに9級、8級と上がっていくのは励みとプライドになった。また、ジャーミーの先生は歌唱について細かい技術や、あるいは歌い始めから歌い終わりまでの規則や作法を教えてくれたから、やがて他人のジャーミーを聞いて良し悪しが分かるようにはなっていた。いや「良し」と感じることはなかったが「悪し」の部分には、もっと腹に力をいれないと、とか、声を震わせなくては、とか、けちをつけられる技術が身についてきたということだ。
 高校生にもなるとさらに悩みは深くなった。ジャーミーの先生に、一体これをやって何になるのかと真剣に聞いてみたりもしたが、精神と肉体を鍛えるためだとか、意味のないことしか言ってくれなかった。果ては、そんな下らんことを考える必要はない、と叱られた。
 ネットで調べても「頭蓋骨が震動して脳が活性化する」とか「とある遊牧民はこれを聴かせて牛の乳の出をよくする」とか、まゆつばな説明ばかりが出てきた。
 結局、いつまでたっても価値はわからなかったが、少しでも上手にこなせるように練習を続けた。しかし、いくら上手くなったところで、それは、ジャーミーをやっている人たちの間だけでしか、理解してはもらえないことはわかっていた。
 そうだ。ジャーミーで誰かを喜ばせようとか世の中の役に立ちたいとか、考えている人はいない。そもそもそんなことはできっこないのだ。ほとんど全員が、ジャーミーの先生になるために、ジャーミーをやっているのである。
 僕もそうだった。高校を卒業する時には、もう後戻りはできなかった。それまでの人生の大半を費やし、そして親に、とんでもない費用を使わせてしまっていた。僕はこの道に進むしかなかった。そしてジャーミーで生きていくには、教える側になる以外、方法はないのだった。
 ジャーミー専門の大学に進んだ。
 苦労して、我慢して、大学を卒業したら、すぐに講師の職にありつけると思っていた。しかし甘くはなかった。生徒の数は限定されている。彼らが出すお金で食べていける人がそんなに多いはずはないのだ。
 幼児向けのジャーミー教室にすら採用してもらえなかったが、今さら別の仕事を目指せるはずもない。自分の人生のほとんどが無駄だったことを、僕は認めたくなかった。
 親に泣きつき、大学に残ることにした。大学院に進み、博士号でもとれば、大学で教員の職が得られると思った。
 それにはまたとんでもないお金が必要だった。院での数年で、家一軒分ほどの費用がかかり、実際、僕の親はそのために持ち家を売った。
 院を卒業した。しかしそれでも職は得られなかった。大学には年寄りの教員が居残っていて、新規採用の枠がなかったのだ。仕方なく研究助手として在籍させてもらったが、これはていのいいただ働きだった。僕はファーストフードでアルバイトをしながら、なんとかジャーミーで職を得られる可能性に賭けた。
 ここまで来るともうジャーミー自体へのこだわりは一切なくなっていた。もう練習もしていなかった。教授や准教授の立場で大学に居座っている年寄り達だって、自分で歌唱することなど、なさそうだった。
 ようやく講師の仕事につけた時、僕は40歳を過ぎていた。
 もちろん、ほっとした。ようやく定収入を得られるようになったのだ。
 しかしふと思いついて、計算してみた。定年まで勤めることができたとして、どれくらい稼げるか。おそろしい事実を知った。今までかかったお金を差し引いたら、どう考えても、とてつもない大赤字なのだった。
 つまり僕は子供のころから今に至るまで、何もせずに寝ていた方が得だったということになる。
 あるいは、僕は全く価値のない人間だったということになるのだ。生まれてきた罰として、一生をかけて、何か大きなシステムに搾取され続けた。それだけだった。

 今の僕はすっかり脱力して、腑抜けのように生きている。それでも「ジャーミーの先生をやっています」というと、尊敬の目で見られることもある。それが救いだ。
「好きなことを仕事にできているなんて、すごいですね。幸せでしょう?」
「ええ。ジャーミーって、すばらしいですよ、本当に」
 僕はそう答えながら心の中では、そんなわけあるか、と思っている。


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2020-07-26 日 21:54:27 | URL | ジャミング [編集]
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